負けについて、考える。

弱小サッカー部。

資本主義という社会システムの中では、基本的に競争というものは避けられないと思っています。

小さい頃から、競争が好きで、それに打ち勝つことで優越感を得ることが私の原動力だった気がしますし、目の前の分かりやすいものを打倒していく快感に溺れていたのです。

高校で入った、サッカー部は弱小でした。1年生の時から、3年生の先輩に勝てるような気がすると思っていたほどでした。練習も、先生がいないとさぼったりするような部活で、本当にやる気が感じられませんでした。

私はサッカーで勝つことを半ば諦め、特に意義も感じていませんでした。

高校3年生の最後の公式試合で、練習も日頃してないので、勝てる見込みもなく、こてんぱんにやられ、負けました。

しかし、負けたのにすごく清々しかったんです。最後くらい、下手なりにみんなで全力で試合に臨もう。そうやって、臨んだ試合でした。

この時のトーナメント表を見て、これだけの人と、人数がいて、勝ち残るのが1チームなのかと思いました。勝ち続けることの難しさを感じましたし、世の中のほとんどの人は負ける人の分類になると思いました。

弱小サッカー部で、負けても、清々しく笑って、高校サッカー生活を終えられた私の心は充実していました。

この頃から、競争について考えるようになりました。

妻との出会い

高校2年生で同じクラスになった、笑顔が素敵な女性がいまの私の妻です。

私の人生はこの彼女と、出会ったことで大きな意義を感じられるようになりました。

たった一人の女性と会うために、私は生まれてきたのかもしれません。

そう思えるほど、一人の女性が一人の男性と出会い、共に生きていくことは意義のあることではないかと私は思っています。

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